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認定NPO法人21世紀構想研究会
理事長 馬場錬成様
馬場錬成様のご紹介
理事長
東京理科大学理学部卒業後、読売新聞社に入社し、社会部、科学部、解説部を経て
論説委員に。2000年に読売新聞社を退社。現在は、特定非営利活動法人21世紀構
想研究会の理事長としてご活躍です。
1996年から文部科学省の学校給食衛生調理に関する審議会委員を委嘱され、その
後20年以上にわたって食育・学校給食関係の委員を務めた。こうした活動や、
2006年から全国学校給食甲子園を開催するなど「学校給食の充実に尽力した功績」
が認められ、2009年に文部科学大臣表彰を受ける。
認定NPO法人21世紀構想研究会 公式サイト
https://www.kosoken.org/
全国学校給食甲子園
https://www.kyusyoku-kosien.net/
馬場様にとって「食」とは
「健康の原点」
左:井上祐子様(インタビュアー)
右:馬場錬成様
(以下敬称略)
井上:馬場先生にとって「食」とは?
馬場:私にとっての食とは、「健康の原点」と位置づけています。食を満足にできないと、健康維持はできない。学校給食や食育にいろいろと関わり、栄養管理も随分学びましたので食事のバランスも考えて食べるようになりました。
井上:「なりました」ということは、現役時代はそうではなかった?お仕事が忙しくて。
馬場:私は20年前に医師から糖尿病を宣告され、ショックを受けました。それから糖尿病についてずいぶん勉強をしました。今は薬の処方を受けていますが、血糖値、血圧、脈拍は、起床後毎朝、自分で測定して記録しています。
井上:ご自身で毎日、体を管理されて、丁寧に記録をされているということですね。
馬場:すべてPCに記録をしているので、加齢とともに体力の変化が分かります。美味しいものを食べて、カロリーをたくさん摂った時は、運動しないと糖尿病患者は血糖値がピュッと上がります。だから夜の会合などで、ごちそうを食べたときは一駅ぐらい歩く、朝や昼を軽めにしています。それでも上がる時があります。ストレスでも上がります。学校給食甲子園で忙しい思いをして、大変だ、大変だってやっていると、上がりますね。
井上:お話が出てきたので、お伺いしたいのですが、馬場先生が学校給食甲子園を立ち上げるきっかけを教えてください。
馬場:2005年に食育基本法が制定されて、栄養教諭制度が発足しました。私はその時、食育基本法を制定する審議会の委員でした。その前から、学校給食の委員もやっていたのですが、学校給食は食育の根幹にあるという位置づけでした。その頃は、世の中で食育なんて言ったって誰もわからない。
それで1年経ったときに食育と現在の学校給食について世の中の理解を広げるために何かイベントをやろうと思い立ちました。私はNPO法人21世紀構想研究会という研究会をやっていまして、大体100人規模の研究会です。その中に学校給食甲子園を創設し、2006年から日本一おいしい学校給食のコンテストを始めました。
私は知的財産権の研究者でもあるので、学校給食甲子園は早速、商標登録しました。他には使わせないという意味ではなく、認知度を高めるために商標登録をしました。どんどん使っていただいて構いません。だけどコピーライトは我々が持っているということです。
井上:知的財産のご研究もされているという話でしたが、これまでのお仕事の経歴をお伺いしてもよろしいですか。給食にたどり着くまでの経歴を教えていただけますか?
馬場:私は東京理科大学の数学科を出て、最初は数学の教員になる予定でした。教員の免許状も取ったのですが、卒業間際にコンピュータの時代に入り、プログラミングを行っているうちにすっかりコンピュータかぶれになってしまいました。
それで学校の先生になるのはもうやめようと。そうしているうちに、大学の就職課に読売新聞社の求人広告が掲示されていまして、なんで理系の大学に?と気になって会社訪問しました。するとこれからの新聞社は理系の記者が必要になるからだと言われました。
そんな縁で読売新聞社に入社するとすぐに、コンピュータの勉強をしてこいと言われて、日立製作所に出向しました。コンピュータはまだどの新聞社にも入っていなかったのですが、いずれ必ず入れるから、少し勉強してこいと。日立製作所のすごく優秀な人達と一緒になって、自動編集のシステムプログラムを組みました。
半年くらい出向した後、今度は、文部省の統計数理研究所に行けと言われ、選挙予想を勉強しました。選挙の前に世論調査をやるわけです。選挙区ごとに候補者の支持率が出てきます。その支持率と過去の選挙結果を統計的に処理して当選率を出すわけです。新人候補の場合は生の数字に新人率のような数値をかけて出す。非常に興味ある勉強でした。
井上:新聞記者になられても数学が活かされていたのですね。世論調査とかさまざまな統計をして、企業に行かれて文部省にも行って、次はどちらに?
馬場:社会部に配属されたのですが、いきなり中沢道明デスクと一緒に「人間この不可思議なもの」という遺伝子DNAの仕組みの連載を日曜版で1年間やりました。「生命現象をあやつっているDNAとはこんなすごいものなんだ」と知った時は感動しました。ものすごく勉強をしました。生涯で一番、勉強したと思います。専門書を何十冊も読みました。今でもその文献は書棚に並んでいます。
井上:その連載は、本として出版されているのですか?
馬場:はい、今は古本屋でしか売ってないけれども、中沢道明さんというデスクと二人で出しました。それが私にとって生まれて初めて出した本ですね。幸運だったのは、取材に行くと「この若造は、何もわかっていないな」と思った研究者が一対一で教えてくれる。家庭教師みたいなものです。専門書のあれを読め、これを読めと指導する。もう、必死で勉強しました。その知識は今も役立っています。それが終わったら、事件記者として警察回り(通称サツ回り)の配属になりました。
井上:事件記者のご経歴がそこから始まるのですか?
馬場:そのサツ回りの初日に、東京・府中市で発生したあの有名な三億円事件にぶつかりました(笑)それからほぼ100日間、あの事件を追及しましたが、ついに迷宮入りとなったのでした。今でも事件現場に行けば、当時の犯行の模様を犯人のセリフ入りで再現できますよ(笑)
サツ回りを卒業して、警視庁記者クラブに行きました。その頃、毎日新聞の西山太吉記者が沖縄返還の機密文書を外務省から漏洩したとして逮捕されました。こっちは新聞記者の立場から、言論の自由を踏みにじる逮捕だと抗議していましたね。
井上:日本の歴史を刻む大きな記事を扱っている方と、今、お話をさせてもらっているのですね!
馬場:その真只中にいる時に、 読売新聞北海道支社の報道部長で、社会部のデスクだった人が警視庁記者クラブにふらりと現れて、私はお茶に誘われました。世間話だと思ったら、転勤で札幌に来ないかと引き抜きの話です。札幌に来たら書き放題、何でも書けるしトップ記者になれる、返事はこの場でほしいと言われましたね。そこまで言われたらと思って、はい、行きますと返事をしました。
それが私にとって非常に幸運でした。人口500万人以上の自治体である北海道は、一つの国家の行政手法、全てがそれぞれ独立してあるようなものなので、記者として修行するにはすごくいいところでした。そこで本も何冊か出すことができました。その後、田中角栄・元総理が受託収賄罪で逮捕された頃に社会部に戻ったのですが、当時の部長が、私を田中裁判の番記者にしようと動いていました。
井上:番記者っていう番組があるくらい、やっぱり重要なお仕事というか、スポットを浴びる仕事だと思いますが、そこで番記者になったのですか?
馬場:いえ、田中裁判の番記者になると、裁判で10年はかかるなと思いまして、科学部のデスクと夜勤で顔を合わせた時に、科学部に引っ張ってくれないかと打診しました。科学部のデスクがいろいろと工作してくれたのと、当時の社会部の上司ともいい関係だったので気持ちよく送り出してくれました。
井上:科学部ではどういう取材をされたのですか?
馬場:科学部は自然科学関係のテーマを広く扱います。社会部の新人のころ遺伝子DNAなど分子生物学を勉強していたので、科学部では非常に役立ちました。それからサケを多摩川に再び遡上させるカムバック・サーモン運動をしたり、ノーベル賞の研究をやりました。新聞社のいいところは、好きなことをやらせる職場なんですね。科学部に行ってやっとそのことが理解できました。
井上:記者としていろいろ経験する中、21世紀構想研究会をお作りになって、そこで給食に関わることになったといことでしょうか。
馬場:そうです。そこで知的財産権とか産学連携などを主としたNPO活動でしたが。食育というものに出くわしたのです。食育という言葉を作ったのは、明治時代の福井県の石塚左玄先生です。石塚先生は、「科学的食養長寿論」で体育、知育、才育と並んで食育という言葉でその重要性を述べた人です。
井上:学校給食に関わったのはいつ頃ですか?
馬場:1996年7月に大阪府堺市で発生したO157集団食中毒事件の頃ですね、文部省から電話が来て、審議会を立ち上げるから委員になってほしいと言われました。学校給食の衛生管理に関する審議会がきっかけです。それから25年くらい、学校給食と食育関係の委員をやって、学校給食の発展に貢献したという理由で、文部科学大臣表彰を受賞しました。
井上:25年間、文部科学省の役割に携わっていて給食甲子園も同時にされていて今年で20回目ということですね。20年も歴史を刻むと、変わっていった部分もあるのではないでしょうか?
馬場:この20年間で、すごく変わりました。まず、献立の内容が進化してきていると思います。地場産物をうまく使っておいしい給食を作るという基本の考えに、昨年から「食育を創る我が校の学校給食」という食育に重点を置いたテーマにしています。
また、栄養摂取基準で塩分をどんどん減らしていることも大きな変化ですね。今は栄養摂取基準を満たしていないものは、一次審査で全部はじかれてしまいます。事前に摂取基準を必ず満たすように伝えていますが、意外とそこで外れる参加者も多いですね。
井上:今までの20年間の給食甲子園も含めて、給食に関する取り組みを、日本のみならず海外にも発信されていると思いますが、どんな国に日本の給食を発信されているのですか?
馬場:どのくらい影響があるか分からないですが、台湾には学校給食コンテストのノウハウを丸々、提供しました。それで台湾版の給食甲子園もやりましたが、栄養管理は国が違うと難しかったです。栄養摂取の基準を定めるというのはすごく大事であることを知りました。世界にアピールするときに、これがないとダメです。 日本人の成人病予防の原点になっています。
だから、学校給食甲子園に厚生労働省と日本医師会も後援してくれています。さらに文科省と農水省と中央行政官庁の3省が後援しているイベントは、おそらく私たちだけだと思います。
井上:そのようなところを強みに、給食甲子園がもっともっと世に広がると嬉しいなと思います。
馬場:食べるということは、人間の三大本能の一つですから、やはり万人が楽しむということです。食こそいつでも、どこでも誰とでも楽しめる最高の機会です。
井上:そうですね。本当にそう思います。美味しいものを食べて怒る人っていないですよね。
馬場:そうです。それから食文化と言いますが、地域や伝統や文化と直結している。食はこれからもますます、重要視されていきます。日本には、どこへ行っても郷土料理があり、地元の特産があり、それが郷土の伝統的な祭りや文化とつながっている。どこへ行っても「この土地の名産はなんですか」ということから始まります。
井上:まだまだ先生もこれからお取り組みについてのビジョン、いろいろな目標がある中で、給食甲子園を通じて、食育や栄養教諭制度の普及と定着をもっと発信できるといいなと思いました。
本日は大変、貴重なお話をありがとうございました。
井上祐子様には、各業界の方々の『食』やその人の人物像にフォーカスするインタビュー企画のMCとしてご協力いただきます。今後もお楽しみに!
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